先頃ラノベ処女作が電書化され恥死量を優に超えたため、ついでに将来どこにも再録されることはないだろう「商業誌に載った本来の意味での処女作」も置いときますね。露出狂の気持ちが少しわかってきました。
(実は最初ためしに某な○うにアップしてみたんですが、投稿規約を確認するとグレー気味だったので削除しました)


『ぼくらがここにいるふしぎ。 ~if,then,else~ (1)』
(PCゲーム『ぼくらここにいるふしぎ。』スピンオフ小説です。(初出パソコンパラダイス2002年12月号))




 てっきり、普段よりもたくさん喋ったせいでどきどきしているのかと思いました。
 けれど、それは違ったみたいです。
「……」
 こうして黙ってしまったあとでも、どきどきは続いたままだったからです。
 どうしてよいのかわからずにいると、さとみさんが私の肩を軽くぽん、と叩いてくれました。
 すると、それを合図にしたみたく、予鈴がのんびりと響き始めました。
 いつもと変わらないきんこんかんこん。
 なのに、その日はやけに遠くに聞こえるようで。
 空だって、まだ夕焼けでもないのに、不思議と色が滲んでいて。
 そしたら、胸のどこだかわからない部分がしくしくと痛み始めて。
 ……ああ。
 と、鈍い私もようやく胸落ちしました。
 私は、初恋を経験したみたいです。
 そして、私の初恋は、気付いたときにはもう終わっていたのでした。

      ・  ・  ・      

 突然ですが、私こと河野はるかはどうやら『天然』らしいのです。
 よく、人からそのように形容されるのですが、天然、という言葉がどういう意味なのか、未だ計りかねています。
「天然って、主観と客観の差にいい意味で無頓着なヒトのことなんちゃうかなあ」
 と友人の辻さとみさんは言います。
 去年西の方から転校してきたさとみさんは、ときどき地元の言葉やおっとりしたイントネーションをひょっこり覗かせます。
(……『いい意味』と言うけれど、『悪い意味』とはどんな差で区別するのだろう)
 私は首を傾げます。傾げたついでに、お弁当のごはんを箸で一口摘みます。
 教室のほとんどの人がもう食事を終えており、なににつけのんびりな私も、ちょっぴりペースを上げなきゃまずそうです。
「いい意味っていうのは、それが愉快な場合でー、悪い意味っていうのは、それが不愉快な場合ー。わかりやすいやろー?」
 さとみさんは、上手いことわたしの疑問に先回りして答えてくれます。
(……でも、ほんとに私は、人の目に愉快と映っているのだろうか)
 と私は首をさっきとは逆に傾げました。
 自分には少し面白みが欠けているのではないか、と常々考えていたからです。
「うん。愉快」
 そんな私にさとみさんは強く頷き、太鼓判を押してくれます。
 さとみさんとは、今年で二年連続同じクラスで、彼女は私のことなら私自身よりお手の物っぽいです。
(……そうか。愉快なのか)
 やけに晴れ晴れしい評価をいただいてしまいました。
 嬉しいことは嬉しいのですが、ただその『愉快』を当の本人が実感出来ないのは、なんとも損なことだなあ、と思います。
「わかってるような、わかってないような、その無表情がまた愉快やわあー」
 『愉快』といえば、このクラスでは真っ先に真鍋くんが連想されます。
 彼は真面目なようで不真面目で、ひ弱なようで妙に強く思えたり、と、見ていて飽きることがなく、彼の所業は私のみならず周囲をも楽しませているようです。
 彼のように振る舞えば、『愉快』という言葉も私自身によく馴染むのでしょうか。
「うわああん! 唄にするな! 詩にするなああ!」
 真鍋くんの声が聞こえます。恐らく、お友達に対してのツッコミでしょう。
 その声は悲痛なはずなのに愉快、読んで字のごとく『愉しくて快い』です。
 このように、彼が非常に興味深い人物だと私の中で認識されたのは三ヶ月ほど前、ちょうど入学式の日のことです。

      ・  ・  ・      

 あのとき私は、ガラにもなく少し緊張していました。
 新しいクラスでは唯一中学時代からのお友達であるさとみさんが、あいにく欠席だったことも影響していたかもしれません。
 もうすぐ入学式が始まる、と思うと、急に小ちゃいほうを催してしまったのです。
(……緊張すると、なぜトイレが近くなるのだろう)
 終わったのちのほっと一息つく感覚、いわゆる緩和を身体が求めるからでしょうか。
 ……でも、他にもなにか方法はあるのでは、と思わないでもありません。
(……わざわざそんなチョイスをするようヒトの身体を作るだなんて、神さまは実にマニアックだ)
 勝手な推論で神さまをフェチに仕立てあげ教室に戻ってくると、そこにはもう誰もいませんでした。
(……あれれ)
 どうやら既に、入学式が行われる体育館へと、クラスごとでの移動が始まっていたようです。
(……これは困りました)
 この学校は中高一貫ですが、私は外からの入学組ですので、あまり校舎の作りには明るくありませんでした。
 ていうか、受験以来初めて訪れた校舎は、私にとっては迷路みたいに思えたことをよく覚えています。
(……体育館はどこだろう)
 校舎が大きい上に何棟かに別れているため、校内は入り組んだ構造になっています。
 私たち一年の教室があるこの三階からは、もう誰も残っていないのか物音一つ聞こえません。
 とりあえずは一階だろうか、と目星をつけて階段を降りていきます。
(……あれれ)
 ところが、いちばん近くにあった階段は二階までしか続いておらず、また私は途方に暮れます。
(……なかなかに意地の悪い作りだ)
 いよいよ迷宮然としてきた校舎についつい恨み言をぶつけてしまいます。
(……別の階段を探さなきゃ)
 廊下の窓からはお天気を示す陽光がさんさんと降り注いでいます。
 もしかして体育館らしきものが見えやしないかなあと外を覗きました。
(……あ)
 この棟から渡り廊下を挟んだ向こう、一段低い場所に丸い屋根が見えました。
 いかにも『我が学舎の体育よ今ここに集わん』という勢いが感じられるアーチ上の屋根です。
(……神さま、ありがとう)
 私は空に向かって親指を立て、神さまのグッドジョブを讃えました。
 ついさっきフェチ呼ばわりしたというのにこんな僥倖をもたらしてくれるだなんて、割と粋でいなせで憎い人(※神)です。
 ただもちろん、まだ問題がすっかり解決されたわけではありません。
(……あそこまで行くにはどうすればよいのだろう)
 付近に階段が無い以上、回り道をして一階を目指し、さらにあの場所まで辿り着かねばなりません。
 恐らく私のことですから、そうそう簡単に事が運ぶとは思えず、ここはよく考えてしかし素早く決断を下す必要があります。
(……きっと、いつもと同じではダメ)
 私はあまり行動的とは言えません。
 どちらかと言えば自分の部屋で、テレビ東○の昼下がりに放送しているようなちょっといなたい感じの映画などを鑑賞している時間に至福を見るようなタチです。
 でも、年頃の女の子がそれでよいのか、年相応にいろんな冒険を経験しなくてどうする、と常々お友達のみなさんに心配を掛けているのも事実です。
(……たまには年頃の娘さんらしく冒険なども試みねば)
 いつもは面倒がってしまう私ですが、そのときは素直にそんなふうに思えました。
 窓の下をひょい、と覗くと、畑が見えました。
 雑草が伸び放題で、何も植わってはいなさそうです。
 土は軟らかそうで、危険物も特に見あたりません。
(……)
 でっででーぽっぽー、とキジバトの鳴き声が、どこか遠く高くから聞こえます。
 地上からこの二階までの高さは、飛ぶことを知る彼らから見れば、空の入り口程度のものかもしれません。
 ざっと見積もって、三メートル。
 やって出来ないこともなさそうな気がしました。
 ゆっくり窓枠に手を掛けて、息をすっと吸い込みます。
 ……ここからひょーいとジャンプして、体育館までの道のりをショートカット。
 出来るだけ土の軟らかそうな畑の中心部分に着地し、それでも勢いが余った際には、多少制服に土が着くでしょうけど、前転に繋げショックを吸収。
(……おーけーべいびーかもんれっつごー)
 イメージトレーニングも終え、私はいよいよ膝を曲げ、窓の向こうへ飛びゆく体勢を整えます。
(……せえの)
 思いっきり、身体を跳ね上げました。
 足が地から離れた瞬間、私は確かにさまざまなものから自由になれたような、そんな感じを味わっていました。
ごん
 ……大きな音が響きました。
 気持ちとは裏腹に、私の身体は宙を舞うことなく、未だ廊下にありました。
 ていうか、窓枠にぶつけた頭を抑えてうずくまっていました。
(……そういえば)
 ……焦っていたせいか、すっかり大切なことを忘れていました。
(……私の運動神経は、人並みを大きく下回っていたのだわ)
 自慢ではないですが、体育では五段階評価で二以上をもらったことがありません。
 通信簿の連絡欄には『お願いだから生きるためにも運動神経の向上を……』と痛切な筆致の一文を書かれたこともあります。
(……やはり大人しく階段を探そう)
 痛む頭を押さえつつ、ほてほて、と私は元来た方とは逆の方向へ歩き始めました。
(……人はそうそう簡単に変われるものではないのだわ)
 入学早々、得難い勉強と相成りました。
 周囲は相変わらず静かです。
 ゆとりある建設思想に基づいたろうこの広い校舎で、私は実に無力でした。
 でっででーぽっぽー、とまたキジバトが鳴きました。
(……いい天気だなあ)
 なんだか日だまりでお昼寝でもすると気持ちが良いのでは、などと思えてきました。
 私には、いじめや辛いことがあるでもないのに、なんとなく面倒だから学校を休んでしまう、という悪い癖があります。
 このときもその癖が顔を出そうとしていました。
 ていうか、ばっくれ上等な流れはもはや揺らぎがたいものとなりつつありました。
 恐らく、天地がひっくり返りでもしない限り、変わることはないでしょう。
たたたたたた
 ……軽快な足音が耳に届きました。
たたたたたたたた
 届く、というよりは、それはどんどん近づいてきました。
たたたたたたたたたたたた
 近づく、というよりはもうすぐ側です。
どですかで――――ん
(…………)
 ……突然の激しい衝撃に、天地がひっくり返りました。
 床に転げた私は、そのまま、なにが起こったのかを整理しようと試みます。
「いたた……」
 隣を見ると、見知らぬ男子さんが身を起こそうとしていました。
 ……どうやら、先ほどの足音はこの人のもので、曲がり角の向こうから現れた彼は出会い頭に私と衝突したようです。
(……漫画みたいだなあ)
 男子さんは、私に手を差し伸べて立たせてくれます。
 女の子みたく綺麗な手のひらが印象的でした。
「……ごめん、あの、前見てなくて」
(……や。私など、前を見ててもこの有様なのですから)
 お互い様です、と相手に伝えようとして、はたと一つの考えに行き当たりました。
(……この人に体育館まで案内してもらった方が良いのかしら)
 自分の中でのばっくれムードは、幾分薄らいでいました。
 なにせ天地がひっくり返ってしまったわけなので、決心も揺らごうというものです。
「……どっか痛いの?」
 私の沈黙を、その眼鏡を掛けた男子さんは勘違いしたようでした。
(……や。そんなことは、別に)
 と言おうとして、私は咄嗟にさっき窓枠にぶつけたところを押さえてしまいました。
「……頭!? 頭痛い!?」
「ええと頭を打ったときの応急処置は……吐き気は!? 顔色は!? ひきつけは!? 耳や鼻から透明な液(髄液)や血液が出てない!?」
(……や。その)
 どこから説明したら良いものやら、私はとっかかりを探しあぐねていました。
 とりあえずは、当初の目的を話すところからでしょうか。
「……あの」
「うん! なに!?」
「……まず、体育館はどこでしょう」
「ああ!? 意味わからんちんなことを!? 強い衝撃による意識障害!?」
(……それは、ちょっと、しつれいな)

      ・  ・  ・      

 そして、私の気持ちをよそに、彼はその痩せぎすの見かけによらないスピードで、私の手を引き保健室まで駆けていったのでした(別段なんともなかったのですが)。
 結局、入学式には途中入場となりました。
 おかしかったのは、彼が集団移動から外れていた理由というのが私とまったく同じだったということです。
 さとみさんにそのことを話すと、
『はるかの他にもそんな間の悪い人がおるんやなあー』
 と感心されました。
 そして実は私自身も、
(……興味深いなあ)
 と強く感じて今に至るのでありました。
 ……でも、なぜでしょう。
 今日の真鍋くんにえも言われぬ違和感を覚えてしまうのは。
 普段とはなにかが違うように思えます。
 これ、という確かなことは言えないのですが。
「なにぼうっとしてんのー?」
 気付けば、さとみさんが私の顔を覗き込んでいました。
「なんでしょう、真鍋くんの方をじ――っと見つめて。やらしいわー」
(……や。そんなわけではないのです)
 彼を見つめていたわけではなく、彼のほうに顔を向けた後、物思いに耽っていただけであることを説明しなければいけません。
き――んこ――んか――んこ――ん
 ……でもさしあたっては、案の定お昼休みをオーバーしてしまったお弁当タイムに、早く決着を付けたいと思います。

      ・  ・  ・      

「今日の体育はマラソンですよう。なんと校舎の周囲をわずか五周という手頃っぷり」
 新井先生が内容に相反した朗らかさで、グラウンドに集まったみんなに告げました。
(……やだな。マラソン。やだな)
 方々から不満の声が挙がりますが、私もまた声なき声でそれに応じました。
「ごはん食べたあとにマラソンてねえ。五人くらい死人が出るんと違うかなー」
 私は、ボケるさとみさんの胸をぽふん、と裏拳で叩いてツッコんでおきました。
 死人は、出てもせいぜい一人でありましょう。そしてそれ、たぶん、私。
 それほど五時間目の体育というのは脅威で、マラソンはさらに脅威なのです。
 しかも今日は、男子の体育を受け持つ先生が出張だとかで私たち女子と混合授業です。
 あまり男子に接する機会のない私は少々緊張しています。
(……)
 そして、緊張と言えば私の場合過去の例に照らし合わせると、
ぶるるっ
 ……早速、お腹の下の方から身体全体にちょびっと震えが走りました。
「準備運動終わったー? じゃ校門向かってスタートー」
 しかし、緊張しいの私をいちいち構ってくれるほど我が国ジャパンの教育は甘くはないのです。
「やーん、走りたないー」
 さとみさんは、ひーん、と泣き声を上げながらも助走を始めました。
(……我慢できるかな?)
 私は自問しました。
(……ノー。呼んでる。お手洗いが。私を)
 ……私にしては力強い自答でした。
 早速先生に断ろうと思うも、既に遙か先を行く先頭集団に自転車で併走しているため、とても追いつけそうにありません。
(……さとみさん、さとみさん)
 ちょいちょい、と私はさとみさんの肩をつつきました。
「なにー? どしたーん?」
(……お手洗いに行って来ます)
 私はグラウンドの隅っこにあるトイレを指差しました。
「あ。ほしたら、あたしもツレ尿ー」
 さとみさんは少し照れくさそうに言うと、私の後に続きました。
 私たちはさりげなくスピードを落としていき、そのまま最後尾から離脱していきました。幸い、誰に怪しまれることもなくトイレはもうすぐそこ。作戦は大成功……
「あれ、どこ行くの?」
 ……ではなかったようです。
(……?)
 突然の男子さんの声に、私は思わず立ち止まってしまいました。
「あー、急に止まったらあか――ん」
 と今度はさとみさんの力無い悲鳴が聞こえました。
 次いで、ずる、と衣擦れの音がして下半身の風通しがよくなったかと思うと、私はぱたりと前のめりに転んでしまいました。
(……なにが起こったのかしらん)
 振り向くと、さとみさんがずっこけていました。その手には、私の衣類の一部が掴まれています。
(……あ)
 風通しが良い理由は、さとみさんが掴んだ私のブルマにありました。
 恐らく、ぶつかるまいと急制動をかけたさとみさんがけつまづき、夢中で目の前のブルマを掴んだのでしょう。
 ブルマはぱんつごとおしりの半ばほどまでずり落ちていました。
(……確かにトイレに行こうとはしていたのだけど、これは少し気が早すぎるなあ)
「あの……」
 見当違いな考えに気を取られ、すっかりもう一人の存在を忘れていました。
「いや! なんにも見てないです! その白さ雪もかくや、その滑らかさ九谷のごとしといった臀部なんて、まったく見てないです!」
 少し離れた後ろに真鍋くんがいました。
 律儀に両目を手のひらで覆っています。
(……見られたのかなあ)
 しかしそう考えてもなぜか恥ずかしさはそれほどでもなく、むしろ白雪、九谷に喩えられたのがちょっと光栄でした。
「……ごめんなー、よいしょ。はい、真鍋くん、もう目ェ開けても大丈夫」
 さとみさんが申し訳なさそうに私のブルマを引き上げてくれました。
「いや、その、こっそりトイレに行って戻ろうとしたら、二人がいたもんだから……」
 ……またしても真鍋くんと行動が被ってしまいました。
「あー、はるかとまた被ったー。入学式んときと一緒やー」
「……入学式?」
 真鍋くんの声には、戸惑うような頼りなさがありました。
(……忘れちゃったのだろうか)
 自分の中では今期のベストに入るポテンシャルを秘めた面白事件だったのですが。
「あ。いや、ともかく、河野さん」
 と、真鍋くんはあのときみたく私に手を差し伸べてくれました。
 たとえあの事件を忘れていたとしても、こうしたところは変わりません。
 私は今日一日中感じていた違和感のことは頭の隅に追いやりその手を取りました。
(……)
 ……しかし立ち上がろうとしたそのとき、追いやったはずの違和感が再び頭の真ん中を占めました。
 女の子みたく綺麗なはずの彼の手のひらに大きな傷があります。
「あ、これ? 小さい頃ちょっと怪我して、そんときの」
 立ち上がったあともその傷に見入っていた私に、彼は説明してくれました。
 ……小さい頃?
 確かによく見れば古そうな傷です。
 しかし。
 その傷は、入学式の日にはなかったはずの傷です。
 私はこうして、違和感の正体をようやく悟ったのでした。